スガモプリズンで1950年に命を絶たれた藤中松雄。死後70年が過ぎて、遺族のもとに研究者から写真が送られてきた。松雄が戦犯として裁かれた横浜軍事法廷の写真。被告人席にずらりと並ぶ元日本兵の中に父がいるのを、松雄の長男が確認した。写真が収蔵されているのはアメリカの国立公文書館。写真の裏には撮影されている人の名前が記されたキャプションが貼られているが、そこに松雄の名前はなかった―。 

◆死後70年経って初めて見た法廷での“父の姿”

横浜裁判 藤中松雄は奥の列、左から3番目に座っている(米国立公文書館所蔵)

藤中松雄の遺書を収蔵する嘉麻市碓井平和祈念館(福岡県)の学芸員、青山英子さんから貴重な情報をもらった。日本大学の高澤弘明さんという研究者から、藤中さんの写真ではないかという問い合わせが藤中家にあったというのだ。松雄の次男、孝幸さんにその写真を見せてもらった。法廷で撮影された囚人服姿の若者の写真が数枚。孝幸さんはそのうち、日本人の弁護人の後方に二列に渡って10人ばかりの元日本兵が並んで座っている写真を取り上げた。

写真を見る松雄の次男・孝幸さん

次男・孝幸さん「はじめ見たとき、わからんやったけどですね。兄貴がみつけたんよ。しょっぱな見た時から『これおやじ』ってすぐわかったですもんね」