特捜部で北島の後輩だった中村信雄(45期)(現、弁護士)はこう語る。
「北島さんとは長いつきあいだったが、自分が関わった事件の自慢話とか手柄話は一切しない人だった。同じ事務所で働き初めてからも特捜部時代の事件の話はあまりしなかったが、深い部分で尊敬し合っている関係だった」
建設業界と政官の構造的な癒着に切り込んだ「金丸脱税事件」で次男の取り調べや、「総会屋事件」の第一勧銀ルートで最重要人物を取り調べた北島。特捜部の「汚名返上」から「復活」の時代を身を粉にして支えていた。「どんな局面にいても、常に優しく穏やかな風貌、細身で無精ひげをはやし、見た目通りの人柄は変わらなかった」(中村)
若いとき特捜部を希望していた中村が、応援検事として横浜地検から東京地検に出向中、ある重要人物を自供させたことがあった。これを知った北島は「これでおまえ特捜部決まりやな」と優しく声を掛けてくれたという。そして数ヶ月後にその言葉通り、北島が上司に掛け合ってくれて一本釣りで特捜部に異動が決まったそうだ。

第一勧銀元会長の自殺
1997年の「第一勧銀から総会屋への利益供与事件」で、北島が取り調べをしていた「第一勧銀元会長」が自殺したことがあった。後に第一勧銀が総額450億円に上る資金を総会屋に提供していたとされる、戦後史に残る金融証券事件だ。
大物総会屋との関係を20年以上にわたって続けていた第一勧銀の歴代トップたち。その関係を「呪縛が解けなかった」と述べた。「元会長」は1988年から1992年まで頭取・会長をつとめ、当時は相談役となっていた。
特捜部は「第一勧銀元会長」と「大物総会屋」が料亭で「密会」し、これがきっかけで資金提供がはじまったことを突き止め、北島が「元会長」の取り調べを担当していた。
事件解明に欠かせないキーマンの自殺に、特捜部は大きな衝撃を受け、意気消沈した。自殺による捜査への影響は常に大きく、捜査手法への非難が集まりかねないからだ。
これに対して第一勧銀の弁護団は、「過酷な取り調べが自殺の原因だ」として特捜部に申し入れをした。
特捜部は取り調べをしていた北島に批判が集まるのを心配したが、事実はまったく異なっていた。
元会長の遺書が発見され、「取り調べた北島検事に感謝の念こそあれ、不満など全くなかった。紳士的で好感が持てた」と書かれていたのである。元会長の遺族側から「遺書」を見せられた特捜部長の熊﨑は、北島が元会長に対しても誠実に、真摯に取り調べをしていたことを改めて確信する。
このときも渦中にいた北島は自分のことより後輩の中村のことを心配した。「第一勧銀元会長」と「大物総会屋」との密会の件を、「S役員」から聞き出したのが中村だった。「S役員」は元会長の部下だったが、「密会」を知りうる立場にいた。「S役員」の供述により、「元会長」が指示して、第一勧銀から大物総会屋へ資金提供が始まったことが明らかになったのである。
中村は「元会長の自殺」を聞いて「自分が聞き出したS役員の調書が、元会長を自殺に追い込んだ・・・」と冷静さを失っていた。
その直後、北島は中村を心配して東京拘置所に駆け付け、そして会うなり「中村くん、すまない」と頭を下げた。「ホテルの宿泊が続いていた元会長に、きょうは嵐でマスコミもいないはずなので、たまには自宅に帰ってゆっくり過ごされたらどうですか、と言ってしまった。まさか自宅で自殺など思いもよらなかった」と状況を説明してくれた。そして中村に、「中村くんはどうだ、大丈夫か、S役員は大丈夫か」と声を絞り出した。