主任検事はだれに

日本中を震撼させた金丸信元自民党副総裁の電撃的な逮捕。強制捜査着手から身柄確保、証拠品押収まで、無事に強制捜査に着手することができた要因は何だったのか。
それはひとえに、東京地検特捜部内の限られたメンバーで「極秘捜査チーム」を編成し、ひそかに内偵捜査を進め、3月6日逮捕当日まで、特捜部内の身内にも知らせず、厳しい情報管理を徹底したからである。ではその「極秘捜査チーム」に指名された検事4人の精鋭部隊は、どういう経緯で決まったのか。関係者からあらためて当時の詳細なプロセスを聞くことができた。

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まず東京地検特捜部の組織を簡単に説明しておく必要がある。
筆者が当時使っていた取材ノートには、一枚の色褪せた資料が挟みこまれていた。タイトルは「東京地方検察庁特別捜査部配置表」と題され、1993年時点に特捜部に所属していた検事の部屋番号、氏名、配置、直通電話、内線などが記されている。「特捜部長」をトップに、政治家の汚職や企業犯罪を摘発する「特殊直告班」、脱税など担当する「財政経済班」に分かれ、それぞれの班に「担当副部長」が置かれている。司法担当はこれらの名簿をいち早く入手し、幅広く取材の網を張る。

どの検事がどの班に配属され、ペアの立会事務官は誰なのか、また全国から特捜部応援に来る検事は何人で、誰なのか。押収品の分析にあたる「資料課」の事務官はどういう分担になっているのか。「資料課」は、金の流れを解明するために、検事と二人三脚で金融機関に足を運び、膨大な伝票、帳簿類などにあたる重要な仕事で、金丸脱税事件でも大きな役割を果たしている。

当時、東京地検特捜部で捜査指揮にあたっていたのは、これまで数々の大型経済事件を手がけてきた脱税事件のスペシャリスト、五十嵐紀男特捜部長(18期)だった。捜査のはじまりは1993年1月、国税当局から五十嵐に持ち込まれた「金丸に帰属すると思われるワリシン(割引債券)数年分の取引を記録した一枚のチャート」がきっかけだった。チャートは「日債銀」の金丸担当者がメモとして記録していたものを国税が入手したもので、保有ワリシンの総額は「26億円」を超えていた。五十嵐は1人で、東京国税局の査察官の協力を得ながらチャートを検討した結果、「脱税容疑を確信する」に至った。