ただし、立件するには「ワリシン」の「購入記録」「受付記録」「伝票」や「帳簿類」などの裏付け資料が不可欠だったため、このチャートを作成していた「日債銀」への正面突破を決断した。

五十嵐は特捜部の脱税事案を担当する、「経済財政班」副部長のXにこれまでの検討結果を伝えた上で、
Xが率いる「財政経済班」の検事に「捜査事項照会書」を持たせ日債銀に赴かせた。日債銀はチャートに記載された取引のすべての裏付け資料を任意で提出してくれた。さらに大阪に転勤していた金丸担当だった幹部を東京に呼び寄せて、特捜部の取り調べに応じさせるなど、非常に協力的な対応だった。

日本債券用銀行発行の割引債券「ワリシン」

捜査体制について五十嵐は当初、こう考えた。やはり事案が脱税なので脱税担当の「財政経済班」副部長であるXを主任検事に指名し、当然、捜査の主体は「財政経済班」が受け持つこととする。ただし、金丸本人の取り調べのみ、相手への敬意も踏まえ、取り調べに精通している「特殊直告班」副部長の熊﨑勝彦(24期)に任せるつもりだった。

ところがある日、Xが特捜部長室を訪れて五十嵐に「3月に私は法務省に異動します。また、3月末までに処理しなければならない脱税事件がかなり残っています。私の班はそれに専従させますので、よろしくお願いします」と申し出た。つまりX率いる「財政経済班」はこれ以上、金丸捜査には関わらないとの宣告であった。当時のある関係者は「Xさんはいわゆる赤レンガ組(法務官僚)として出世コースを歩むエリート検事。失敗したときのことを考え、引き受けたくなかったのだろう」と語った。
そこで五十嵐は捜査の主体をX配下の「財政経済班」から、熊﨑が率いる「特殊直告班」に変更することにしたのだ。

五十嵐特捜部長(1993年3月27日)

◆五十嵐特捜部長の迫力に熊﨑は・・・

ただちに五十嵐は、「特殊直告班」の中で「極秘捜査チーム」を人選し、それぞれの役割を次のように決めた。「主任検事」は「金丸本人の取り調べ」との兼務で、副部長の熊﨑勝彦(23期)にやってもらう。元秘書の「生原」の取り調べは吉田統宏(31期)、現秘書の金丸「次男」の取り調べは若手の北島孝久(36期)を抜擢し、3人を呼んで言い渡した。
しかし、意外にも熊﨑は「Xさんから難しい案件だ、俺は断ったから熊ちゃんに話が来るかもしれないよ、と聞いています。先輩が断った事件を、私がやる自信はありません。1週間くらい考える時間を欲しい。」と即答を躊躇した。これに対し五十嵐は「時間がない。明日返事してくれ」と突っぱねた。