火災旋風は、強風で人や物を巻き上げるだけでなく、火の粉を遠くの飛ばして火災を拡大させていきます。内閣府の報告書によると、関東大震災当時、東京では被服廠跡以外に110個、横浜市でも30個発生したと報告されています。火災旋風が発生する原理は解明されていませんが、大規模な市街地火災や林野火災などで起こるとされています。
火災旋風に関する証言は、他にもあります。
女性
「(被服廠跡に避難した後)ござを敷いて、ほっとしてやれやれって座って、『怖かった』なんておしゃべりしているうちに、周りでボーンボンというような音がしましてね。爆発みたいな音がね、ずっともうぼんぼんぼんぼんしていたんです。そのうちに火の手が上がってきましてね。だんだんと火が広がってきて、近づいてきて、それでみんなの持っている荷物に結局火が付いたわけですね。本当に人が飛ぶのを見ましたよ。ぴゅーっと。それで竜巻が。それがひどかったんです」
この女性も避難の途中で意識を失い、夜中に目が覚めます。
女性
「気がついたときは母の膝で寝ていまして。周りが全部真っ赤でしてね。それでもう死人の山で、『苦しい』『助けてくれ』『水くれ』って、もう阿鼻叫喚なんですよね。そこら中、死人の山で…」
父親と離れ離れになってしまった少女も。
女性
「旋風が来て、中が火の海になったもんですから。周りの火が、全部中へ向かってきたわけです。ちょうど夕日が、太陽が真っ黒の中に真っ赤にこんな大きく見えたんです。恐ろしかったんですけど、そのうちに旋風にあっという間に巻き上げられて、叩きつけられたんですね。父に手を引かれていたんですけれども、いつの間にか手を放していました。それで、その時にお父さん、お父さんって言ったんですけどね、全然答えが無いんですね、だから、その時にもう…」
この女性は火災旋風に吹き飛ばされた後、逃げ込んだ先にあった池に入り、生き延びたと言います。
女性
「自分がどっかへぱっと浮かれて、そして気がついた。何ともなかったもんですから、立ち上がって、それで駆けだしたんですね。暗いところと、明るいところとありましてね、明るいところはもう燃えているから、それで暗い方に行きました。そうしたら、そこに池があったんです。それが、安田さんの池だった。池の中でもね、とても親切な方がいて、頭に水をかぶせたりね、かけてくださる方がいたんです。(火の粉が)飛んでくるのを防ぐので、それだけでも夢中でしたね。ふと気がついたら、夜が明けていた。みんな真っ黒けに焦げてましてね。庭園もそうですけど、木の枝に死骸が、真っ黒けになっていてね、人だか、棒だか分からないような人がね…」
その池は、被服廠跡の近くにあった「旧安田庭園」の池でした。