10万5000人以上が犠牲となった関東大震災は、9月1日で100年を迎えます。関東大震災を経験した200人以上の証言が録音された膨大なカセットテープが、分析されないまま残されていたことが分かりました。

そこには、地震発生直後の揺れや火災の猛威など、震災の生々しい証言が収められていました。

関東大震災を経験した人たちの証言テープは、東京大学で保管されていました。

東京大学大学院の廣井脩教授(故人)が、震災の教訓を後生に残し、今後の防災に役立てようと、今から30年以上前の1990年に聞き取ったものです。

カセットテープは168本。約200人の証言が収められていますが、長年、分析されずにいました。

JNNは、災害時の情報伝達を研究している東京大学・総合防災情報研究センターの関谷直也・准教授から、このカセットテープを借りました。

「目が覚めたら死人の山…」3万8000人が焼け死んだ被服廠跡で起きたこと

証言テープの中で、私たちが注目したのは、「被服廠跡」と呼ばれる広場に避難した人の証言です。

被服廠跡は、現在の東京・墨田区にあった陸軍の軍服を製造していた工場の跡地で、東京ドーム約1.5倍もの大きさの広場でした。

関東大震災直後、大勢の人が避難していましたが、周りを火の手に囲まれ、避難した人が持ち込んだ家財道具に引火。

“火災旋風”が発生し、3万8000人が焼け死にました。関東大震災で最大の犠牲者を出した場所です。

この被服廠跡に避難した人の証言です。

女性
「ご近所の皆さんが『ここにいては駄目だから、どっかへ逃げなきゃ駄目だ』と。もう被服廠に入るほかないんです。押されて押されて、逃げ場がありませんですね。警察の人が、『早く被服廠へ行け、被服廠へ行け』という声が聞こえていました」

今では災害時の避難先を決めておくことが当たり前となりましたが、多くの人が「当時は避難先を決めていなかった」と証言しています。