日本の特攻隊員として死んだ朝鮮人がいた。また、朝鮮人でありながら帝国陸軍の中将まで上りつめ、戦犯として処刑された人もいた。「歴史に翻弄された人生」を、RKB毎日放送の神戸金史(かんべ・かねぶみ)解説委員長がRKBラジオ『田畑竜介 Grooooow Up』で語った。

◆戦後の時代を区分してみると

僕(神戸)が生まれたのは1967(昭和42)年1月。「戦争ははるか昔のこと」と思って育ったのですが、振り返ってみると終戦からたった22年後です。31年続いた「平成」より短いのです。

昭和以降を大くくりに、僕の考えで区切ってみます。

(1)「戦争期」~昭和20年(1945年)敗戦まで=19年間 
(2)「成長期」~昭和45年(1970年)大阪万博まで=25年間 
(3)「爛熟期」~平成2年(1990年)バブル崩壊まで=20年間
(4)「停滞期」~平成23年(2011年)東日本大震災まで=21年間
(5)「??期」大震災以降

バブルが崩壊するまでの「爛熟期」に、私は青春時代を過ごしています。大震災以降をどう名付けていくか、は今後決まってくると思います。「新たな飛躍期」となるのか、あるいは「新しい戦前」となるのでしょうか。

◆世代で違う歴史観

赤ちゃんから成人を迎えるくらいの時間が、「世代の区切り」に当たっている感じがします。これは、歴史観に大きな違いを生みます。例えば「平和」という言葉は「戦争期」には、武力で制覇してなるもの、目指すものでした。「戦争をしない」という意味の「平和」ではないということです。
ところが、敗戦=大日本帝国の滅亡を迎えた昭和20年以降、戦争をしない「平和」が「何よりも大事な価値観」と捉える方が多かったはずです。私が育った高度経済成長以降の「爛熟期」には「当たり前のこと」として捉えられていました。
しかし、その後は「平和、平和と言うなんて、頭の中が“お花畑”だね」なんて言う人も出てきました。「その世代みんながみんな同じだ」というわけではなく、偏った「世代論」になってしまうといけませんが「そういう風潮が一定数いた」という意味です。

◆日本に併合された朝鮮で育った人々

ここで考えてみたいのが、朝鮮のことです。1910年に日本に併合され、大日本帝国が滅亡する1945年までの36年間は「日帝三六年」と呼ばれています。ひと世代を超えるくらいの長さがあるのです。

日露戦争が終わった1905年に生まれた人がいたとします。1910年に日本に併合されるので、5歳に「日本人」になり、その後は日本語教育で育っていきます。青春期を「日本人」として過ごした後、ちょうど40歳で日本統治が終わる。すごく長い時間です。家庭も、子供も持っているでしょう。

このあと朝鮮半島は独立を回復するわけですが、もちろん、みんながみんな抗日レジスタンスとなって独立を勝ち取ったわけではなく、多くの人はその体制の下でどうやって生きるかを考えていました。時には日本軍に協力してでも「お金をちゃんと稼いでいきたい」と考えるのは普通ですよね。
当時の日本だって、戦争に反対する人はいたけれど、多くの人は何も言わずに世の中を見て、時流に合わせていたのでしょう。