「ゲンとともに生き抜いた」 妻が見た『はだしのゲン』作者の姿
妻のミサヨさんの心に強く残るのは、母の葬儀を終え、当時暮らしていた東京へ帰る列車の中での夫の姿だ。

中沢さんの妻・ミサヨさん
「一切しゃべらないんです、家に帰ってまで。何か重く考え事してるんです。“おれは構想を練ってたんだ”っていうんです、怒りで。もう原爆を絶対許せないという思いがあったんでしょ」
そして、初めての原爆漫画を描き上げる。その先に生まれたのが『はだしのゲン』だった。
中沢さんの妻・ミサヨさん
「なぜ戦争が起きたか、なぜ原爆が落とされたか、それをどう思うか、子どもたちに具体的に読ませるにはどうしたらいいかって、もうすごく悩んで描いてました。実相はとにかく細かく書き残したいという思いがあったんですよ」
創作を交え、父、姉、弟が亡くなる場面を克明に描いた。

中沢さんの妻・ミサヨさん
「あそこをペンで描くときはね、顔を描くじゃないですか、熱かったろうなとか、痛かったろうなとかね、そういう思いが浮かび上がるらしくて、つらいと言ってました」
それでも、描かないわけにはいかなかった。
中沢さんの妻・ミサヨさん
「こだわったのは、原爆、戦争への怒りですよ。一生、原爆を離すわけにはいかない、ゲンとともに生き抜いたというか、人生を過ごしたというか」