「原爆は大事なおふくろの骨まで取っていくのか」『はだしのゲン』作者の“決意”

作者の中沢啓治さんは2012年12月、73歳でこの世を去った。生涯こだわり続けたのは、被爆の実相をいかに子どもたちに伝えるか。主人公のゲンは、中沢さん自身だ。中沢さんが強く影響を受けた父は、戦争反対を公言していた。

『はだしのゲン』より抜粋
「資源のない小さな国の日本は、平和を守って、世界中と仲良くして貿易で生きるしか道はないんだ」
「日本は戦争してはいけんのじゃ」

その発言から逮捕され、非国民とののしられても、信念を貫く父を中沢さんは尊敬していた。一家が暮らす広島にその日が近づいていた。

昭和20年8月6日。戦時下に夏休みはなく、その朝、当時6歳の中沢さんは普段通り登校した。校門をくぐろうとすると、同級生の母親に呼び止められた。そのとき、上空にアメリカ軍のB29が現れた。

『はだしのゲン』作者の中沢啓治さん
「あれ、B29じゃないかというと、おばさんもこうやって見上げて、あ、そうだって。そのB29が後方に消えてね、消えたと思ったらバッと光った」

世界で初めて原子爆弾が投下された瞬間だった。

中沢啓治さん
「光を見た瞬間に一切記憶がなくなって、気が付いたらこの塀が斜めになってのしかかってきて」

奇跡的に街路樹と塀に原爆の熱線から守られた中沢さん。電車道に飛び出し夢中で自宅を目指した。電停にたどり着き、左側の歩道を見ると、かっぽう着姿の母が座っていた。

再会した母は、被爆のショックで産気づき、女の子を産んでいた。そこで、家の下敷きとなった父、姉、弟が亡くなったことを告げられた。

中沢さんの妻・ミサヨさん。夫が語った母への思いは、被爆後を生きる大きな力だったと感じている。

中沢さんの妻・ミサヨさん
「俺はね、おふくろが生きていたからこそ、まともな人生を送ることが出来たんだと。もしあの時に母親に会えなかったら、広島市内のどこかで野垂れ死にしていただろうって」

その最愛の母の死が中沢さんを変える。母を火葬した時のことだ。

中沢啓治さん
「いくら探しても骨らしい骨がないんですよ。こんなバカなことがあるかって」

放射能が母の骨を食いつくしたと確信した。

中沢啓治さん
「原爆ってやつは、大事な大事なおふくろの骨まで取っていくのかって、ものすごい怒りがあった。お袋の弔い合戦をしてやるっていう気持ちで」

漫画家として原爆を告発するという決意だった。