間違いなく江戸後期まで遡る建物だった

山元町教育委員会 山田隆博主査:
「ここが特に土壁がほとんど落ちてしまって、外のとたんが見えてしまっている状況。ここはほぼ(地震により)やられてしまっている。床も沈んでしまっている。見ての通り土壁も落ちてしまっていて、私が乗っても壊れるくらいに弱くなっています」

山元町教育委員会 山田隆博主査

この茶室には「伊達政宗が豊臣秀吉から拝領した」という言い伝えがあります。そこで町が、今年1月茶室の木材を調査したところ、秀吉まで遡る年代ではなかったものの「江戸時代後期の建物」と判明しました。

山元町教育委員会 山田隆博主査:
「大條家の言い伝えと現代の理化学的な年代測定の結果との整合性が取れたので、これで間違いなく江戸後期まで遡る建物」

専門家は当時の文化を伝えるもので、貴重な建物だと指摘します。

山形大学 永井康雄教授:
「仙台藩における茶の湯の文化や、歴史の流れを伝える唯一の茶室として、非常に文化財的価値は高い」

山元町は復興の目途が立った5年前、茶室の修復に向けて動き出しました。計画では茶室の保護だけでなく、今後、庭園なども整備して茶の湯の文化を伝えることにしています。

しかし、ここで大きな壁が立ちはだかりました。