日本進出時、中国人は「私ひとり」…開拓を任された重圧

―――日本進出の当初から日本で働くようになったんですよね?
日本市場に参入した当初は、中国から日本へ来たのは私ひとりでした。全くのひとり。ハイアール本社には、私以外に日本市場に対しての認識があるとか、日本に駐在できる人がいませんでしたし、私はハイアールグループで技術部門・開発部門・生産部門・アフターサービスの仕事・マーケティング・販売会社の仕事を全部ひと通り担当してきた経験がありましたので、恐らく会長が、私が日本市場を担当するのが最善の案と思ったのでしょう。

―――10年ほど前に「旧三洋電機」の白物家電事業を買収しましたね?
三洋電機のブランドは世界中の消費者に愛されてきましたし、三洋電機の70年の歴史の重みを感じまして、会社のDNAを残すべきと考えたんです。M&Aによってハイアールは、日本市場だけではなくて、東南アジア市場を含め工場・開発・生産の分野を引き継ぎました。当然、三洋電機の従業員にとっては、ハイアールの経営の仕方を理解できない部分、理解できる部分あったと思います。でも張会長が来日した時、自ら日本市場開拓の方針と目標を発表して、「日本でNo.1になろう!」と宣言しました。
「三洋電機」譲渡翌日、一斉に「AQUA」製品を店頭に陳列

―――M&A当初は、どのような苦労がありましたか?
三洋電機の白物家電事業の譲渡は、2012年1月5日です。そこで私は、ひとつの目標を立てました。それは譲渡翌日の6日に、日本にある家電販売店3000店で33機種の商品全部を新製品で一気に販売しようという目標です。前の日まで三洋電機の商品が並んでいた場所が、すべて「AQUA」ブランドの製品に変わるというわけです。私自身、日本の主な量販店の社長に直接会って営業活動をしました。従業員たちは、私が設定した目標を達成するために頑張ってくれましたし、量販店も協力してくれました。その時に張会長からもらった言葉が、いまも忘れられません。
―――どのような言葉ですか?
中国の宋時代の有名な詩人が書いた詩です。意味は、「山脈の中、目の前の山を登って制覇しても、また次にもっと高い難しい山が現れる」という詩です。創業精神を忘れずに、再び困難や問題に直面しても、勇気を出して次の目標に挑戦しようということですね。三洋電機とハイアールのプロジェクトを進めるのは簡単なことではありませんでしたが、両社の力を合わせて、消費者により良い製品を提供できるようになったと思っています。














