
陸の孤島・三厩を変えたのは1958年の津軽線全線開通でした。三厩と青森は鉄道で結ばれ所要時間はバスの半分以下、約1時間50分に短縮されます。

※安保一郎さん「鉄道が来てバンザイした。みんな。鉄道様様だった」

津軽線の登場で村民の暮らしは上向きました。青森まで足を伸ばして行商をする人が現れ、駅は大きな荷物を背負った人で活気に溢れました。


※行商・川村カオさん(2000年撮影)「子供たちを育てていこうと思って、行商をした。ミズ(山菜)を青森へ持っていく。(三厩から)持っていくのはコンブ、ミズ。ジャガイモとか。最初はもうかっていたが、だんだんダメになった」
津軽線がもっとも華やいだのは、1970年代です。青函トンネルの本工事が始まり、関係者の往来が生まれました。三厩へ転勤してくる人も多く、人口は1975年がピークで6300人あまり、現在の約1400人と比べ4.5倍に上ります。龍飛の基地周辺には作業員の寮が立ち並び、その建設や管理を任されたのが建設公団の職員だった安保さんでした。

※安保一郎さん「(社員寮は)吹き付けた断熱材がはがれると結露を起こす。」


こうして延べ1370万人が携わった工事は1985年、完成にこぎつけます。