11日で東日本大震災の発生から12年1か月です。12年前、宮城県の南三陸町戸倉中学校の生徒たちは、津波に飲まれた人の救助にあたるなど過酷な場面を経験をしました。卒業生の一人で今は2児の父親となった男性が、あの日の体験を話してくれました。
あの日、佐藤さんはまだ中学2年生でした
岩手県一関市に住む佐藤裕さん26歳。公務員として働く2人の子どもの父親です。12年前の3月は、南三陸町戸倉中学校の2年生でした。

佐藤裕さん:
「地震の後は、安全確保のため校舎の外に出て、校庭に全校生徒でまとまって整列していた」
海抜20メートルにある学校。地震のおよそ40分後、津波は校庭まで押し寄せました。
佐藤裕さん:
「おやと思った瞬間に、『津波だ、逃げろ』という声が聞こえてこちらを見たら(校庭への)上り口からツーと水たまりが広がるみたいに来た。そんなばかなという感じ」

校舎をはさみ2つの方向から流れ込んだ津波。佐藤さんは、同級生らと校庭の脇にある山林の斜面を駆け上がりました。

佐藤裕さん:
「津波がぐるぐるまわっていた感じ。体育館の2階あたりまで水は来ていた」

津波からは逃れましたが、逃げ込んだ山林では過酷な状況が待っていました。