実の両親の記憶 そして、ウクライナ軍に残る婚約者の身を案じる日々

避難先となった住宅、奥には古いストーブが

ユリアさん一家は知人を通じて、モルドバ北部のギンデシュティにある戸建て住宅を無償で借りることができた。

近年は、誰も住んでいなかった古い建物で、家の中でも冷え込みが厳しく家族7人がストーブのある部屋に集まって暖を取った。

ユリアさんはその古いストーブを見ながら「子どもの頃、私の家にもこんなストーブがあったなあ」とおぼろげながら過去の記憶が蘇ったという。

ユリアさんの実の両親をリアシェンコ夫妻は探し続けていた。警察や赤十字などの機関に片っ端から当たり、手がかりがないかを聞いてまわった。

しかし、臨月が近づいていたユリアさんの母親が出産した記録は残されておらず、銀行口座もその後、使われた形跡はない。

警察には「殺された可能性が高い」と告げられたという。それでも夫妻はユリアさんに対し「戦争が終わったら、探しにいこうね」と励ましてきた。

ユリアさんがショックで記憶を失ったため、実の両親の名前や当時、住んでいた住所などは明らかになっていない。このためリアシェンコ夫妻はユリアさんの名字をあえて旧姓のまま残している。実の両親を見つける際に役に立つ可能性があるという判断からだ。

ウクライナで兵士として戦っているウラディスラフさんの身を案じると、ユリアさんは居ても立っても居られない。

一時期、連絡が途絶えた時には、彼の身に何か起きてしまったのではないか、と取り乱すこともあった。「毎日、毎日、ずっと彼のことを思っていました。ちょっとでも連絡がとれないと、不安になって夜眠ることができないこともありました」。

当時の状況を思い出してしまったのか、目には涙が溢れていた。

後編に続く)
前編・中編・後編のうち中編)