ウクライナ人のユリアさん(19)は、11歳の時、ロシアの侵攻により、両親が連れ去られ、今も行方が分かっていない。その後、里親のリディアさんに迎え入れられたが、実の両親が行方不明になったのを「全部私のせい」と自分を責め続けている。
そんなユリアさんがあることをきっかけに、大きく変わっていく。
(前編・中編・後編のうち中編)
金たらいを何度も殴打 初めて感情を露わに 里親を初めて「ママ」と呼んだ日

2015年、リアシェンコ一家の里子になってから半年ほどが経ったある日の出来事。ユリアさんは生まれ育ったドネツクが爆撃されたニュースを偶然見てしまう。
突然、金属製のたらいを持ちだして庭に飛び出した。たらいを何度も何度も素手で殴りつけ「私のせいだ。全部、私のせいだ」と泣き叫んだ。
その手は赤く腫れあがり、血が滲んでいたという。ユリアさんが家族の前で感情を露わにするのは初めてだった。
慌てて追いかけた里親のリディアさんはユリアさんをぎゅっと抱きしめた。
「あなたのせいじゃない。大丈夫よ。両親は必ず戻ってくるわよ」
泣きじゃくるユリアさんに対し、言葉を続けた。「私たちがあなたを手助けして、一緒に探しましょう」。するとユリアさんが「ママ、助けてくれるの?」と言ったのだ。
リディアさんはその言葉に耳を疑った。養子に迎えてから「ありがとう」、「はい」、「こんにちは」の三言しか口にしなかったユリアさんが、初めてリディアさんを「ママ」と呼んだのだ。
翌朝、ユリアさんは憑き物が落ちたような顔をしていたという。「ママ、ありがとう」ともう一度言った。
リディアさんは家の裏に隠れて一人で泣いた。母親と認めてもらった嬉し涙だった。ため込んでいた感情を露わにすることができたこの出来事を機に、ユリアさんは大きく変わっていったという。
リディアさんはこう振り返る。「あの子は両親が連れ去られたのは自分のせいだと抱え込んでいました。その上、元の家族を忘れなければならない、と自分をさらに追いつめていたのです。私たちが『本当の両親を忘れる必要はないのよ。一緒に探そうね』と言ったことで、安心したのだと思います。これを機にユリアの人生が変わりました。生きがいを見せるようになったのです。まさに生き返ったようでした」