「語り部なのか、被災の先駆者なのか、奇跡の少年なのか」

只野哲也さん

ことし話を聞かせてもらった1人に、震災当時、石巻市の大川小学校の5年生だった只野哲也さんがいる。
大川小では児童と教職員あわせて84人が亡くなり、只野さんは生き残った児童4人のうちの1人だった。母と妹を亡くした只野さんは震災直後から幾度もメディアの取材を受け、“奇跡の少年”と報じられてきた。
その只野さんも今、自分の被災経験を話すことや取材を受けることに違和感を抱いているという。

自分は語り部なのか、災害被災の先駆者なのか、奇跡の少年なのか。そうではない、自分たちも本当は当事者なんだと思います、次の災害の当事者になるかもしれないんです」

只野さんの言葉にハッとし、腑に落ちるものがあった。
もっと今を、未来を見てほしいのではないか、と思った。
只野さんら大川の若者たちは今、小学校の近くに「カフェ」を開くことを目指しているという。“多くの命が失われた場所”ではなく、若者たちが安心して集い、未来に向けた話をできる場所を、大川に作りたいのだという。

「巡り巡って違う誰かに返して」 17歳の私を助けてくれた大人たちに

何度も話を伺っている石巻市の木工作家・遠藤伸一さん 震災で3人のお子さんを亡くした

2011年3月11日。石巻の高校生だった私。
津波が迫る線路の上で、見ず知らずの大人が靴や傘を貸してくれた。夜が明けてからは、半分水に浸かった車で安全な場所へ送り届けようとしてくれた人もいた。

「これ、どうやって返したらいいですか?」
17歳だった私がそう聞いたとき、返ってきた言葉が忘れられない。

「返さなくて良いから、巡り巡って違う誰かに返してほしい」

見ず知らずの私に声をかけ、助けてくれた人たちに、その後、私は会うことはできていない。けれど、その言葉が今も自分を支えていると思う。
“次の災害の当事者”には誰がなるかは分からない。そのとき周り巡って、あのとき助けてもらったことを返せる人間になっていたいと思う。