最初の名は「ひかり8号」知床の海を走るのは「想像できない」
「KAZU Ⅰ」は、1985年2月、山口県の造船所で造られ、ここ三原市と10キロ離れた尾道市生口島(いくちじま)を結ぶ定期高速船として使われていました。
「西の日光東照宮」とも呼ばれた生口島の耕三寺(こうさんじ)を訪れる観光客を目当てに、同じ航路で3社がしのぎを削っていました。
2つのエンジンを持つ新たな高速船は「ひかり8号」と名付けられました。後の「KAZU Ⅰ」です。

瀬戸内海で半世紀以上、定期船を操ってきた船長の塚崎光治さんです。
弓場汽船 塚崎光治 船長
「(この船って見覚えありますか?)ああ、これは見たことがある。ひかり、ひかり何号だったかな。そこまで覚えておらんけど、ひかり8号じゃったかな。三原が同じ港で、隣同士で『ひかりだね』と言って見ていた」

テープカット
「3、2、1、どうぞ!」
しかし、本州と四国を結ぶ「しまなみ海道」の開通で、定期船の利用者は徐々に減少。運航会社は、いずれも廃業し、「KAZU Ⅰ」も広島を離れました。1995年ごろのことです。
弓場汽船 塚崎光治 船長
「この瀬戸内海で走りよった船が、そこそこの年数がたって(知床の)外洋を走るのは、どうなのか。ちょっと考えられないというか、想像がつかない」
