身体能力の低さを補った異次元の練習量
埼玉県東松山市に生まれた吉田。小学生の時に長距離に興味を抱き、中学・高校と陸上部に所属したが、目立った成績は残せなかった。大学は、箱根を夢見て青山学院へ進学。
しかし、原監督が「身体能力は決して高い方ではない。どちらかといえば低い方です」と語る通り、吉田は大学3年まで箱根駅伝のメンバーに入ることができなかった。当時の挫折感は人一倍大きかったという。
陸上は大学で最後にする。そう決めた吉田は、ラストイヤーにかけて凄まじい練習量を自らに課した。実業団のトップ選手でも月間800km程度と言われる走行距離において、吉田が走った距離は実に1100km以上。吉田自身「箱根を集大成にしていいと感じていた。食事もそうですし、睡眠も私生活も、大学の友達と遊んだりすることも、普通の大学生活ではない生活を送った」と話すほど、全てを陸上に捧げた。
「吉田はそこから頑張りました。逃げませんでした。努力する能力は世界ナンバーワン」と原監督も称賛するひたむきな練習が実を結び、4年生の冬、悲願の箱根駅伝に初出場。2位でタスキを受け取ると、4区で区間新記録(当時)の快走を見せ、総合優勝に大きく貢献した。

当初は箱根を最後に引退するつもりだったが、その走りを見た原監督から「これだけ仕上がっているにも関わらず、辞めるのはもったいない。マラソンで2時間10分を切ったら実業団でやってもいいんじゃないの」と後押しを受け、初マラソンに挑戦。2020年2月の別府大分毎日マラソンに出場すると、2時間10分を大きく上回る2時間8分30秒、日本人トップでフィニッシュした。レース後に「自信を持って走れた」と語った吉田は、プロの道へ進むことを決意した。

















