故郷に戻ることなく迎えた「孤独の死」朝鮮出身兵の戦後

心を病んだのは日本人だけではありませんでした。

李永吉さん(日本名・吉本永吉)は戦後も故郷の朝鮮半島に戻ることなく、日本の療養所で亡くなりました。

戦時中、スマトラで捕虜の監視にあたった李さんは戦後、戦犯となり懲役10年の判決を受けました。言動に異常が見られたのはこの頃です。

日本へ移送された後も症状は改善せず、千葉県の療養所の閉鎖病棟に移されました。

日本国籍を持たない李さんには恩給も出ません。
物心両面で支え続けたのが、朝鮮半島出身の戦犯仲間たちでした。

恵泉女学園大学の内海愛子名誉教授は、李さんを見舞ったことがあります。

恵泉女学園大学 内海愛子 名誉教授
「お土産のバナナを無心に食べていた。話をしないでひたすらバナナを食べている印象でした。インドネシアのスマトラ、その後戦犯となって拘留されたジャワは南方なので、バナナは彼の中にずっとあったのだと思います」

1991年8月の李永吉さんの死を伝える新聞の見出しには、「孤独の死」とあります。78歳でした。

半世紀にわたって社会から隔離された李さん。棺には戦犯仲間が新調した背広が入れられました。

李さんの遺骨はいま、東京・小平市の寺に安置されています。

遺骨を見守ってきた戦犯仲間たちは既に他界しました。

在日朝鮮人の尹碧巌住職が、李さんの遺骨と私たちを引き合わせてくれました。

国平寺 尹碧巌住職
「骨は言葉がないと思いますけど、血のつながりもない人たちがお骨ひとつの問題に携わってくれるので、その喜びの声が聞こえるんですよ」

李さんは日本の戦争責任を負わされ、心も傷つけられました。

戦後81年、その事実は忘れ去られようとしています。