戦後81年、先の大戦では多くの犠牲者を出しました。
旧日本兵の中には、生き残ったものの心に深い傷を負い、「戦争トラウマ」を抱えた人たちも多くいます。
その「戦争トラウマ」は子や孫の世代にも連鎖しています。当事者の話を聞きました。
“戦争トラウマ”次世代にまで連鎖する苦しみ
戦後、家族にも看取られることなく、静かにこの世を去っていった精神疾患の兵士たち。
彼らが苦しみ続けた“戦争トラウマ”は、次世代にまで連鎖していた。

大阪で小さなカフェを営む藤岡美千代さん(67)は、50年以上経つ今も亡くなった父親の写真を直視することができない。

藤岡美千代さん(67)
「普通に海軍帽をかぶった穏やかな父の写真なんですよ。でもその写真は、私にとったらもう大魔神の父に見えるんですよ」
――今も見ることはできない?
「できないですね、ハンカチに包んでるから何とかここに居てもらえるけど」

藤岡さんの父、古本石松さんは20歳の時、海軍に入隊し、機関兵として航空基地などに配属された。
戦後、3年間のシベリア抑留を経て、故郷に戻った。
「戦争に行く前は穏やかでいい人だった」と親戚中が口を揃えていたが、復員後は酒に溺れ、暴力を振るうようになったという。

藤岡美千代さん(67)
「突然『起立』って言う。『今からみんなで死のう、お父ちゃんと死ぬんだ』父がプロパンガス、栓を開けるんです。そしたらシーって音がする。母がもう半狂乱で…」
一方でこんな時も…

藤岡美千代さん(67)
「窓ガラスが(雨で)ガタガタっていうと『軍隊の足音が聞こえる』とか、『あいつが殺しに来る』って大の大人が部屋の片隅でガタガタ震えて号泣している」

藤岡さんが9歳の時、両親が離婚。その年の暮れ、父親は亡くなった。自殺だった。
20歳になり、保育士として働きはじめた藤岡さん。だが父親の暴力の記憶は消えず、突然フラッシュバックに襲われることもあった。

藤岡美千代さん(67)
「ミストが駅を出た時にシーって聞こえた。一瞬にして5歳6歳の自分に戻って。お父ちゃんがガスをひねったと思って」

そんな藤岡さんの気持ちを変えたのは3年前の2023年。同じように父親の戦争トラウマに苦しむ人たち、「PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会」との出会いだった。

父親のことを知りたくなった藤岡さんは、役所から軍歴書を取り寄せた。すると、千島列島の航空基地で過酷な任務に就いていたことがわかった。
藤岡美千代さん(67)
「アメリカの艦砲射撃にあったり、トラックで味方に物資を運んでいる時にも、部下たちがやられながら何とかかいくぐって、生き残った罪悪感でわーってやってしまう」

















