残った灰は穴に埋めた
井上は、11月9日には横浜に出かけて、久保山火葬場の飛田美善場長に会っている。飛田場長の話では、「久保山火葬場は終戦直後、連合軍に接収され、1948年に解除となったが、そのあともスガモプリズンの刑死者が火葬されるときには、はじめから終わりまで米兵による監視がついた。1948年10月以前に死刑となった人たちの遺体は、米軍によっていったん別の場所に仮埋葬されていて、のちに掘り出され、あらためてここで火葬にふされた」ということだった。
<井上忠男「巣鴨戦犯遺骨の埋葬秘話」人と日本(行政通信社 1975年新春号)>東京裁判七氏の遺骨については、「ここで火葬となったが、厳重な警戒のもとに、遺骨は米軍が持ち去り、残灰はアメリカ軍人からせきたてられながら、われわれ職員の手で、その場で残灰を捨てる穴に埋めた。しかし、これらは、翌日になってひそかに三文字弁護士らが取り出した。のちに、熱海伊豆山に埋葬したと聞いている」という回答であった。
















