減刑されなかった人たちへ集まる同情

日記を遺した冬至堅太郎

2月11日に新聞に掲載された28人の減刑について、スガモプリズン内での反応を日記に残した人がいた。当時同じ死刑囚の棟にいた、福岡出身の冬至堅太郎だ。冬至の日記によると、実はこの前日、死刑囚の棟からは死刑執行のために8人が連れ出されていた。荷物をまとめるように看守から指示された冬至は、自分も執行かと青ざめたが、今連れ出された人たちが居た部屋が空いたことによる移動だった。その部屋には、たばこと歯ブラシが残されていた。自分もいつ連れていかれるかわからないのだと身震いした次の日に、石垣島事件28人の減刑が発表され、生きる権利を得た減刑者たちは死刑囚の棟を後にする。

<冬至堅太郎の日記 1949年2月11日金曜日>
今日の新聞に石垣島の四十一名の死刑囚のうち二十八名が減刑された事が発表された。約七割が死刑から減刑された事は非常な恩典の様に見えるが、事件の性質、および今日までの再審の経過と見込みから考えて、なお十三名残ったということは、非情な重刑である。死刑は三名~うまくゆけば一名だけで、あとは減刑されるというのが根拠ある見込みだったのだ。五号棟(注・死刑囚の棟)は二十八名もの空前の大量減刑であったにもかかわらず、むしろ期待がはずれた人々への同情のためにひっそりとした空気である。