大分県別府市在住で詩人として活動している豆塚エリさん。大分県内の有名進学校に通い、大学を目指して勉強と部活動に励んでいた高校2年生のとき、飛び降り自殺を図る。頚椎を損傷、胸から下の感覚を失い、車いすの生活が始まった。あの日から12年、絶望を乗り越えた彼女の生き方や本音に迫る。
■結局、私のことなんて見ていなかった、愛されていなかった
愛媛県出身の豆塚エリさん(29)。小学校に入学する頃、義父と母の家族3人で大分県内の田舎に移り住む。小学校での生活は充実していたものの、両親の関係が悪化。一時は、母と2人で倉庫暮らしも強いられる。
中学に入ってから自傷行為をするようになり、腕には今も傷跡が残っている。その後、義父から逃げ出すかのように大分県内有数の進学校として知られる公立高校に入学、両親は離婚した。
「大人たちがまず楽しく生きてないと子どもは見てるんで。楽しくなかったり我慢ばっかりしたりしていたら、やっぱりそれを見て子どもたちは罪悪感を抱くんですよ。自分たちのせいなんじゃないか自分もそうならないといけないとか。そうなったら楽しくないですよね生きることが」
「もっと寄り添いたかったし、認めてほしかったし、大切にされたかったし、逆に自分も大事にしたかったし、愛したかったんですよね。結局、私のことなんて見ていなかったな、愛されていなかったんだな」

高校では美術部と文芸部などを掛け持ちするほど部活動に熱心に取り組んできた。しかし、最難関と言われる東大への進学を迫る母とのケンカも絶えず、勉強もついていけなくなったという。次第に追い詰められた豆塚さんは高校2年の冬、自宅アパートのベランダから飛び降りた。
※豆塚さんの詩『ベランダ』より一部抜粋
この日のために生まれてきたそう思えてならないのです。12月のそらはくもりひとつなくあたしを包んでいます