■父親との再会、彼女を救った言葉
豆塚さんは19歳になったとき、県外にいた父親に会いに行く。世間話をして大分に戻ると、読書好きの豆塚さんに父親から多くの文庫本が届いた。そのお礼として豆塚さんがメールを打ったところ、『何も出来なくてごめんね』と一文だけの返信が来たという。
「なんかようやく向き合ってもらえたような感じです。逆に距離があったから言いやすかったのかもしれないですけど。ちゃんと一人前の人間として向き合ってくれなかったんですよね母も義父も、どこかやっぱり子どもだから下に見てる。母に言われて一番傷ついたのは『子どもに謝る親なんていないんだ』という言い方」
「親が全部正しい、子どもが間違ってるっていうことですよね。でも親だって間違うし、それを認めたらいいじゃないですか。もっと弱みを見せてほしかったですよね。なんかその…辛さと向き合ってほしかったし、それを正直に私にも言ってほしかったです」
■生きづらさを感じている人へ
豆塚さんは今年、自らの半生を描いた『しにたい気持ちが消えるまで』を出版した。生きづらさを感じている人の役に立ちたいと過去をえぐりながら綴ったエッセイだ。
「やっぱり一番苦しかった高校時代を振り返るのはすごく勇気が必要でした。どうしても高校時代は難しくて…。せっかく書くのなら本当に掘り下げてきちっとそういう苦しみを抱えてる人たちの代弁をしたかったですし、そういう当事者の方が読んだときに本当にウソがないようにと考えた。なんかこれウソっぽいと思われたくないから。向き合うっていう作業は本当に苦しくて。でも書き上げてすごくすっきりしました」

何度も大人たちに見放され、裏切られてきた豆塚さん。壮絶な過去を振り返りながら執筆し、たどり着いた一つの答えが「自分の意思で間違うこと」と語る。
「『人には間違う権利がある』っていう言葉に胸をつかれました。他者から認められるほど立派でもなければ、そういうふうにあろうこともできないし、やっぱり正しくもいられないんですよね。だから自分で自分のことを決めていいんだって思った」
生きづらさを感じている人にメッセージを伝えるため、豆塚さんは今後も詩人として活動を続ける。
「本当に生きることって苦しいので。苦しくない人もいるかもしれないけど、私は本当苦しいなって思うんですよね。もう思い切り生き延びているだけで偉いっていうか。もうずっと強くならなければいけない、弱みをみせてはいけない、人に迷惑をかけてはいけないと思い込んでいっぱいいっぱいになっていたので」
「もう全然そんなに完璧にがんばらなくてもいいし、ごまかしたり、たまには逃げ出したり、解決しないといけない問題をほったらかしてもいいから、ごまかしごまかしでも生きていってほしい」