「本当にあれはもうどうしようもなかった。助かって生き残ってても絶対また同じようなことをしただろうし…本当救いようがないなって自分でも思っちゃうんですけど」
「大人から『正しくあれ』って言われると思うんですよ、子どもの頃からずっと。勝たなきゃいけないし、正しくなきゃいけないし、認められなきゃいけないし。でも全然自分はそんなに勝てるほど強くない。でも大人に保護されて生きているからやっぱり大人の言うことを聞かないといけないじゃないですか。それが本当に苦しかった」
■一命とりとめ高校を自主退学…就職へ
豆塚さんは一命をとりとめるも頚椎損傷で胸から下の感覚を失い、車いすの生活が始まった。
「高校は行ってよかったなと思っているんです。いい思い出もいっぱいあるし、本当に友だちには恵まれていろんな出会いがあって、楽しかったんですよ。勉強は関係ないんだけど、文芸部に所属してそこで学んだことが今でも活かされているんです。ただ、その中の社会のあり方や、大人たちの対応、態度とかそういうのが合わなかった」
高校を自主退学した豆塚さんはリハビリ生活を経て、別府市内で就職。その後、高校時代に夢中になっていたという詩を書き続け、現在は詩人として活動している。

「私は何の人の役にも立てないのかもしれないとか、本当に生きる意味がないと思っていた。障害者になって、やっぱりなおさらそこは思ったんですよ。もう本当に人に迷惑をかけるばっかりでこれから私はもう生かされるだけなのかもしれないと思ったけど、極端に言えば、それでもいいんですよね。人に迷惑かけていいし、もうお荷物でもいいんですよ生きてて」
「私も人を頼れるようになってからすごく楽になったんです。障害者になってでも生きていっていいんだなって思えたことが自分の中で一番大きかった。無理に社会の役に立とうと思わなくていいし。何かこんな姿になってでも全然生きてていいってことですよね」