初心に戻ることでマラソンで世界に挑む

直接的には世界陸上の経験が、マラソンへのスタート地点になった。では世界陸上までの取り組みが意味がなかったかと言えば、そこにも大きな意味があった。矢田はU20時代に代表経験があり、16年のU20世界陸上5000mで12位に入り、18年のアジアジュニア5000mには優勝している。高校卒業後に実業団入りしたのは、「世界で戦うため」だったが、前述の2大会に一緒に出場した田中希実(26、New Balance)や、1学年下の廣中らが五輪&世界陸上で入賞し始めたのに対し、自身は代表になかなか届かなかった。

東京世界陸上の10000m

「同学年の田中希実ちゃんは強くても、必死にもがきながら競技をしていました。私が苦しい時も色んな言葉をかけてくれた選手です。一緒に頑張りたいとずっと思っていましたし、(世界で戦う)同じ悩みの境地に行きたいと思って来ました」

その努力がやっと実ったのが25年だった。4月の日本選手権10000mで廣中に次ぐ2位に入り、5月のアジア選手権でも31分12秒21の自己新で3位。世界陸上代表入りを確定させた。日本選手権レース後には、次のように話している。「今まではただレースに出ていただけで、日本代表までは正直意識できていなかった部分があって、そこの気持ちの変化が大きかったと思います」。世界陸上で感じたことの前段階とでもいうべき意識改革を、25年シーズンに入る前にしていた。

アジア選手権は豪雨でレースが中盤で中止になり、翌日に再レースになった。愚痴の1つも言いたくなるケースだが、矢田も一緒に出場した廣中も、後ろ向きなことはいっさい口にしなかったという。「2人ともピンチの方が強い性格だったのかもしれません。ポジティブに、日本人らしく泥臭く行こう、みたいな感じで逆に楽しめました」。

矢田の世界陸上が大敗だったのは確かだが、沢栁監督によれば「7月に捻挫をして回復に1か月ほどかかり、本格的な練習に入ろうとしたところで新型コロナにもかかってしまった」ことが影響した。世界と戦うことに強い意思を持っていたから、それも自分の弱さだと認めることができ、世界陸上後のマラソンへの取り組みにつながっていく。

今後もトラックにはしっかりと取り組んでいく。大阪の終盤で外国勢とは「余裕度に大きな違い」を感じた。「それはスピードかな、と肌で感じた」からだ。だが、トラックで世界と戦うところまではイメージできないが、「マラソンで出てみたらどうかな」と、国際大会はマラソンで目指す可能性が強くなった。

その一方で今回は、初マラソンで無欲で走ることができたからこそ、出すことができた結果だという認識も持っている。世界と戦うことだけを考えて上ばかり見ていたら、代表入りする前の自分と同じになってしまう。

「初マラソンだから攻めることができたのだと思います。(実績を)積んで行ったら、元の自分に戻ってしまうかもしれません。日本記録は目標にしていきますが、速く走らなければ、とか、代表に入らなければ、という気持ちを持つと動きも硬くなります。少し楽しむ気持ちを持ちながらマラソンをやっていきます」

東京世界陸上後に初心に戻った経験が、今回の快走につながった。そこを思い出すことで、矢田は世界と戦っていく。

(TEXT by 寺田辰朗 /フリーライター)