現代に受け継がれる思い

各地に収監されていた約2700人の国事犯たちは、明治16年までに判決より短い刑期で釈放された。

明治12年、椎原国幹は、恩赦を受けて帰郷することになった。その際、彼は亡くなって瑞鳳寺に葬られた同志たちのために、自身の預かり金の利子であった30円(現在の価値で数十万円以上)を「永代供養料」として寄進した。

墓石には「三拾円」と椎原国幹の名前が刻まれている

しかし、長い年月の間に、この墓の存在は歴史の中に埋もれていった。

再び光が当たった「鹿児島県人七士」

再び光が当たったのは、明治100年にあたる昭和43年(1968年)のことだ。地元の郷土史家らが埋もれていた墓を発見し、宮城県にあった「九州人会」の会員らが資金を出し合って整備したのだ。

2025年5月に筆者が訪ねた際、瑞鳳寺の墓地には「七士の墓」の由来を書いた案内板が立ち、墓はきれいに整えられていた。

瑞鳳寺の住職、鎌田宗州さん(87)は語る。

七士の墓の前に立つ 瑞鳳寺住職・鎌田宗州さん

「宮城の鹿児島県人会の人たちが、お彼岸の時期には必ずお参りにいらっしゃいます。その時は、県人会の皆さんがお花とお線香を供えておられます。私もお経を上げさせて頂きます」