囚人たちのリーダー格、西郷隆盛の叔父

彼ら国事犯たちの態度は、「囚人」という枠には収まらないほど毅然としていたと伝えられている。

自ら願い出て、宮城県内の仙台、塩釜、野蒜、雄勝などで、開墾や港の工事など公共事業にもあたった。

その中心にいたのが、西郷隆盛の叔父にあたる椎原国幹(しいはら・くにもと)だった。

椎原国幹(しいはら・くにもと)
文政3年(1820年)生まれ。西郷隆盛の実母の弟で、隆盛の叔父にあたる。西南戦争では五番大隊の大小荷駄(補給部隊)などを務め、延岡で降伏。懲役2年の判決を受け、宮城県へ送られた。 当時58歳で、国事犯たちの長老格としてリーダーシップを発揮。その高潔な人格は監獄職員からも一目置かれ、時には獄外へ出て馬に乗り、松島などに行くこともあったという。

椎原国幹が供養を依頼した「鹿児島県人七士の墓」(宮城・瑞鳳寺)

西南戦争で負った傷や病気で「七士」が相次いで亡くなった翌年の明治13年(1880年)。生き残った彼らの仲間たちが、その「サムライ精神」を発揮し、東北の人々を感動させる出来事が起きた。