「顕一は高校3年で来年は東大を目指して勉強をしています。厚生は1年に入学、誠之は中学1年、ハルカは4年とそれぞれいつの間にか成長しています。ご安心下さい。」
そんな便りが幡男さんの元に届いたこともありました。
収容所では、多くの日本人俘虜たちが生きる望みを失う中、幡男さんは俳句サークルを結成するなどして仲間を励まし続けました。

しかし、昭和29年8月、幡男さんは喉のがんのため、収容所内の病室で死亡。
45歳でした。
幡男さんが最後まで気にかけていた、長男・顕一さんの東京大学合格の知らせが届いたのは、幡男さんが亡くなってからわずか数日後のこと。4人の子どもたちは全員成績優秀で最終的に東京の大学を卒業しています。














