おもちゃに込められた健吉の思い
新庄健吉の孫・靖生さんは、施設で暮らす父・敏孝さん(86)に会いに行った。敏孝さんは健吉の一人息子。遺品から見つかった写真を見せに来たのだ。それは健吉がアメリカに一人で出発する直前に日本で撮られた「最後の家族写真」だった。健吉と妻・範子、そして当時1歳だった敏孝さんが写っている。
「範子さんが若い時、きれいやね。覚えてる?」
「覚えてるよ」
「健吉さんのこと、聞いたことある?」
「・・・」
父親である健吉について、敏孝さんは何も話さなかった。健吉と一緒にいた期間は、生まれてわずか1年に過ぎないのだ。靖生さんはあるものを取り出した。それはアメリカ製のおもちゃについていたタグと説明書。実は健吉はアメリカから、日本に残した敏孝さんにおもちゃを大量に贈っていた。そのおもちゃについていたタグや説明書を、妻・範子さんが、戦後も大切に保管していたのだ。
「こんなおもちゃあった?覚えてる?」
「うん。前の家にあった」
「健吉さんからのプレゼントだ」。靖生さんの言葉に、少し恥ずかしそうな笑顔になった敏孝さん。もう一度、家族写真を見ながらこう言った。
「一緒」
スパイだった健吉。思いが記された手紙は、一通も見つかっていない。
一方で、アメリカから息子に贈り続けたおもちゃ。平和な世界で健やかに・・・そんな思いが込められていたのではないか、と靖生さんは考えている。
新庄健吉の孫・靖生さん
「80年以上前に贈った祖父からのプレゼントを覚えているというのは、きっと思いは父にも伝わったんだろうなと思います」
※この記事は、JNN/TBS と Yahoo!ニュースによる戦後 80 年プロジェクト「きおくをつなごう」の共同連携企画です。企画趣旨に賛同いただける方は、身近な人から聞いた戦争に関わる話や写真を「#きおくをつなごう」をつけて SNS に投稿をお願いいたします。

















