健吉の死 葬儀の最中に真珠湾攻撃が勃発

健吉の葬儀 写るのはアメリカ軍関係者

神経をすり減らして「新庄レポート」をまとめた健吉。病が癒えることはなかった。渡米から9か月がたった12月5日、新庄は非業の死を遂げた。まだ44歳だった。

葬儀は12月7日(日本時間8日)、アメリカ・ワシントンで営まれた。遺品から見つかった葬儀の写真には棺の中で眠るように目を閉じた健吉の姿が。棺に向かってお辞儀をしているように見えるアメリカ軍関係者の写真もある。彼らにとって耳を疑うような事態が起きたのは、まさにこの葬儀が行われている最中のことだった。

真珠湾攻撃。日本がアメリカに、戦争を仕掛けたのだ。

健吉が生きていたら、このときどう思っただろう。盟友・川島四郎は、健吉の胸の内を聞いていた。

健吉の盟友・川島四郎の手記
「秘に私に語ったところは、軍用資材の戦力を論じて、非戦論を持していた。対米開戦には反対で、戦前において世界の大勢を洞察して卓越した意見を持っていたのである」

健吉の詳細な分析に基づく「非戦論」は生かされなかった。