”新庄レポート”の驚くべき中身とは

アメリカでの健吉の様子について、健吉の弟・芦田完は戦後こう振り返っている。

健吉の弟・芦田完の手記
「兄は事務所をニューヨークに置き、集まる情報を汽車の中でまとめて、ワシントンに持参して、大使館内の会議に加わるという毎日」
「同僚からしきりに休養を勧められたが、当時の情況はこれを許さず、その忠告をおし切って任務を遂行した」

激務がたたったのか、健吉は病に侵されていた。英語で書かれた診断書には「気管支肺炎」とある。健吉は病をおして寸暇を惜しんで分析を進めた。そして詳細な報告書をまとめあげた。健吉の国力分析は後に「新庄レポート」と呼ばれる。その内容が日米交渉にあたった陸軍の岩畔豪雄の著書に記されていた。

岩畔豪雄著「昭和陸軍 謀略秘史」より
「米国国防計画の全貌は私と同じく渡米した新庄主計大佐の異常な努力によって略々明らかにすることができた。製鋼能力 日米の比率1対20、石油産出量 1対数百・・・」

国力の差は明らかだった。健吉の分析ではあらゆる面で、日本はアメリカに大きく後れを取っていたのだ。

岩畔はこの分析結果を日本に持ち帰り、陸軍参謀本部に報告したとされる。しかし「日本は国力でアメリカに到底勝てない」という健吉の分析も、開戦に向けて動き出していた日本を止めることはできなかった。

陸軍に詳しい柴本一希さん
「当時の日本にとって、国力差が開いていることが問題ではやっぱり無いんです。政治的に妥協ができないなら戦争をするしかないという判断でした」