運命を分けた「帰還先」シベリアから日本と台湾へ

12月8日、日米英開戦の日。私は呉正男さんと共に、横浜の台湾出身元日本兵の慰霊碑を訪れました。

呉さんにどうしても伝えたい事がありました。数少ない台湾出身のソ連抑留者の存在、そしてその彼が台湾で処刑された事実です。

日下部キャスター
「この方、湯守仁さんという方です。呉さんと同じようにシベリアで…」
呉さん
「彼は学徒動員?」
日下部キャスター
「志願です。二・二八事件の直前に台湾に戻った」
呉さん
「不運だったね」

抑留中、詳しい身元確認もされず、日本名を名乗り続けた呉さん。抑留は2年におよび、日本に返されました。

一方、将校だった湯守仁さんは日本人でないことが確認されると台湾に返され、銃殺されました。

戦後、台湾に戻った元日本兵たちを待ち受けていた悲劇。「ソ連抑留は幸福だった」。呉さんの言葉の真意はここにあったのです。

呉正雄さん
「僕は本当に幸せ。もう神様の配慮としか。一般の台湾の国民は祖国に帰るという期待が強かった。もちろんすぐ失望したから二・二八が起きた。そういう時に僕は幸いにも台湾にいなかったということで、非常にありがたいと思います」