「目隠しはいらない」銃殺直前、元日本軍将校最期の言葉

台湾中央部の景勝地 阿里山。二・二八事件で処刑された元日本軍将校の息子が暮らしている。

先住民ツォウ族の湯進賢さん(78)。民主化以降、二・二八事件が公に語られるようになるまで、父親の身に何が起きたのか誰も教えてくれなかったという。

元日本陸軍少尉・湯守仁。日本名・湯川一丸。事件では多くの元日本兵が武器をとった。湯守仁さんは反乱を企てたとして銃殺された。

湯進賢さん
「父は青年たちを引き連れ山を下りました。嘉義の町に着くと、彼らを配置につけました。日本軍の士官だったので、どこに何人配置すべきかを理解していました」

阿里山のふもとの町、嘉義に向かった湯守仁さんは、国民党軍相手にゲリラ戦をしかけた。だが、国民党軍が増援部隊を呼んだ事を知り、部隊を撤収させた。

阿里山に戻った湯守仁さんに対し、国民党は懐柔工作を続ける。しかし、湯守仁さんはこれを拒み続け7年後、処刑された。息子の進賢さんが7歳の時だった。

湯進賢さん
「多くの人が泣きながら私の家に来ました。私たち子どもは何もわからず外で遊んでいました。父はもういないんだと少しずつわかってきました。遺影も無く、ただ骨壺(灰)があるだけでした」

進賢さんは、のちに父の処刑の時の様子を知った。

湯進賢さん
「銃殺される前に最後の酒を飲むことが許されます。父は処刑の前、仲間をこう励ましたそうです。『みんな胸を張ろう、目隠は要らない、酒も飲む必要はない』」

――お父さんが日本の陸軍に入らなかったら、人生は全く違うものになっていた?
進賢さん

「まだ生きてたかも(笑)」