村民に食料調達を強制 抜刀して威嚇

幕田隊の特攻艇格納庫壕(大田静男著「八重山の戦争」より)

一緒に到着した第十九震洋隊は、島の北西の川平湾に駐屯したが、そこは米が十分で、魚や野菜は自給自足ができた。一方、幕田大尉が隊長を務める第二十三震洋隊は、南岸の宮良(みやら)に陣を張った。宮良の食料事情については「日本特攻艇戦史」には記載がない。

「八重山の戦争」(大田静男著 1996年南山舎)によると、第二十三震洋隊は宮良国民学校を本部として、外本(ふかもと)御嶽周辺に兵舎を作り、その後に格納壕を掘った。隊員184名、震洋艇五十二隻を備えていたという。幕田隊は宮良部落の幹部に野菜や卵などの調達を強制し、調達ができなくなると抜刀して「村を焼き払う」などと威嚇した。「当時の部落幹部は、今もって蛇蝎のように幕田隊長を嫌っている」とある。