まっさきに斬首役に指名
裁判資料では、井上乙彦大佐は石垣島事件で自分が下した命令について、「処刑は夕食から1時間後くらいの18時30分頃に決意し、19時頃に電話で幕田大尉をバンナ本部に呼び出し、斬首を直接命令した」と陳述している。幕田隊がいた宮良の海岸から本部までは18キロほど離れていて、突然電話で呼び出された幕田はトラックに乗って1時間あまりかかって出頭し、命令を受けたようだ。
その夜、処刑される米軍機搭乗員は3人。井上大佐は指を折りながら、まず斬首役の二人を幕田大尉と田口泰正少尉に決めた。田口少尉が指名されたのは、事件の前日、田口小隊の隊員3人がグラマン機の空襲に遭い戦死していたからだ。小隊長として仇討ちの意味合いを持たされている。一方、幕田を救うための嘆願書には、幕田が指名された理由は、「先任士官で剣道の達人」であったと書かれていたが、意味づけとしては弱い印象があった。
















