感じたメッセージが、前を向くきっかけに

 事件発生時から、何をどう考えればいいか分からない状態が続いていた酒井さんは、娘の最期の様子が分かったことで、心境に変化が生まれたという。

(酒井肇さん)
「事件の最大の被害者は、遺族ではなく、幼いながらも夢を持って生きたいと願っていた子供なのだと、心から思うようになりました」

「日常の生活の中で(子供に)目をかけたりすることはできません。日曜日に公園で一緒に遊んだり、食事もできません。 でも、自分の時間の中で、もし麻希が生きていれば、麻希に費やしたであろう時間とエネルギーは、やはり麻希のために使ってあげたいと思うようになりました」

 大阪府警によるDNA鑑定という“支援”によって最期の魂に触れることができたこの日を境に「再スタートした」と振り返る。

(酒井肇さん)
「私たちの今後の人生、様々な活動に新たな意味を見出す経験になったことは間違いありません。 このような悲劇を二度と起こさないために、努力を惜しんではならない。今後の人生から与えられたこの新たな生きる意味は、麻希の最期の思いに答える形で生まれてきました。このような辛いことは誰にも起きてはならない、という麻希の魂の声が、私たちの耳に届いたのです」

 酒井さんはここから、犯罪被害者に対して警察や弁護士、マスコミがどう支援の手を差し伸べるかを考え、まとめ、動きまわる日々が始まった。

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