2か月後 朝鮮戦争勃発

冬至堅太郎

しばらく処刑がなかったので、死刑囚が集められた「五棟」には「もう処刑はないのでは」という楽観的な空気が広がっていたのだが、石垣島事件7人の執行で、次はいよいよ自分の番かと緊張が高まった。冬至の日記によれば、石垣島事件の7人が出て行ったあと、五棟に残ったのは21人だった。このうち、冬至がいた福岡の西部軍での米軍機搭乗員殺害事件、いわゆる九大生体解剖事件と油山事件で死刑囚となった人たちが12人と半分以上を占めていた。

この2カ月後、朝鮮戦争が勃発。米軍の関心はスガモプリズンから急速に薄れて、朝鮮半島へ移った。冬至堅太郎は7月に終身刑に減刑、残る死刑囚たちも五月雨式に減刑され、結果、石垣島事件7人の死刑が最後の執行となった。西部軍に関する事件で死刑が執行された人はいない。