死刑執行の特攻隊長の母へ 弁護士からの手紙

石垣島事件で死刑執行された幕田稔大尉

一方、藤中松雄と同じく石垣島事件で死刑執行された幕田稔大尉の母には、戦犯裁判を担当した金井重男弁護士から山形の家に手紙が届いていた。

<金井重男弁護士から幕田トメへの手紙 1950年4月8日>
前略 御免下さい
すべては終わりました。とうとう駄目でした。無念の一語です。お嘆きに対し申上げる言葉はありません。
やっぱりアメリカ人はアメリカ人でした。四月七日午前零時三十二分と言われています。勿論、日本人は誰一人執行自身は見てはいませんが、最後に会われた教誨師からお知らせはあったと思います。信ずるより外ありません。四日にご上京になり、五日にご面会になられたのは、せめてものことでした。その節お話したように、判決確定後は、もはや何時やられても文句が言えず、一に、マッカーサーの手にすべてが握られていたのですが、まさか、こんなに早くとは何人も予測できませんでした。聞くところによると、四月九日の復活祭に間に合わせるようにとの考慮に出たのだとのことです。

十字架にかかったキリストが生き返った日を祝う日が今年は四月九日にあたるのです。それでどんな事があっても絞首刑の方に対し、恩赦の意思がないことがはっきりしました。もしそうだったとすれば、毎日毎日、今後不安の日を過ごさせるよりは思い切って断行した方が寧ろ慈悲と言えぬこともないかも知れません。それにしても人生の楽しみを知られずに、また、人生の最大の苦痛を四年間も味われて絞首台上に登らさせられた、稔様のご一生こそ、戦争の最大の犠牲として痛ましい限りです。