静まり返ったスガモプリズンの“五棟”

処刑の翌日に発信された藤中家からの電報

石垣島事件7人が死刑囚の棟から連れ出される様子を日記に残していた冬至堅太郎は、処刑の翌日、4月8日の日記には次のように記している。

<冬至堅太郎の日記 1950年4月8日(土)>
石垣島の七人が処刑されてこの棟(注・死刑囚が集められた五棟)はしんとしずまりかえった。四カ月も処刑がなく、耳に入る情報はすべて楽観的だった。処刑は今後行われないという見方が皆を覆っていた。鳥巣さん(同室者)と私は「現実はそんな甘いものではない、そのうちにまた処刑が始まるだろう」とよく云い合っては安易な楽観から自分を守ってきたが、それでも矢張り心の隅では一般情勢の好転にたのもうとするものがあった。恥しいと思う。然しこの状況のひっ迫のために一方では心がしんしんと落ちついて来たのを感ずる。