「利益相反にあたる」元常務の弁護人を辞任 新井将敬の弁護に全力を
猪狩は、「H元常務が自白調書の作成に応じた以上、彼の弁護を続けることは、新井との利益相反にあたる」と判断し、辞任を決意した。
とはいえ、Hを弁護人不在のまま放置するわけにもいかない。猪狩は、日興証券弁護団とパイプのある検事時代の上司の弁護士に連絡を取った。
「Hが日興証券側に態度を翻した以上、これ以上、弁護を続けることはできません。Hの新しい弁護人をつけていただけるよう、日興弁護団に仲介をお願いできませんか?」
日興証券の弁護団を取り仕切っていたのは、元東京地検特捜部長の弁護士・河上和雄(10期)だった。かつて河上は、東京地検のトップである「東京地検検事正」を同期の増井清彦(元大阪高検検事長)と争ったが、その座は増井に譲る形となり、1991年に最高検公判部長を最後に退官していた。
国会議員や大企業役員が特捜部の捜査対象となった場合、河上のような大物検察OBが、いわゆる“ヤメ検人脈”を通じて刑事弁護の人選を取り仕切るのが慣例だった。
河上はすぐに、後任に神宮壽雄弁護士(16期)を指名した。神宮は“特捜の生みの親”と呼ばれた河井信太郎の娘婿で、「ロッキード事件」などに携わった元特捜検事である。
その後、神宮は国会の参考人招致にH元常務が呼ばれた際にも立ち会うことになる。
こうして猪狩は、H元常務に関する事件記録一式を神宮に引き継ぎ、正式に弁護人を辞任した。これにより「利益相反」の問題は解消され、猪狩は以後、新井将敬の弁護に全力を傾けることとなった。















