「縊死(いし)だと確信」猪狩がホテルの現場で見たものは・・・

逮捕を目前に控えていた新井将敬の突然の死。
1998年2月19日、ホテルの一室でいったい何が起きていたのか。猪狩弁護士や関係者への取材記録をもとに、当日の緊迫した現場の状況を再現する。

警察関係者によれば、新井の妻が遺体を発見したのは午後1時すぎ。
弁護士の猪狩が連絡を受け、「ホテルパシフィック・メリディアン東京」23階の2338号室に駆けつけたのは、午後2時半すぎだった。

猪狩は、襟元を少しあけて首に走る縞状の痕跡を確認し、くるぶしに手を当てた。脈はすでになかった。検事として10年の経験を持つ猪狩は、何度も司法解剖に立ち会っており、その場で縊死(いし)だと確信した。あろうことか、まだ救急車の手配もされておらず、警察にも連絡もしてないという。

すぐさま猪狩は妻に向かって静かに言った。

「まず検視をしなければなりません。とにかく所轄の高輪警察署に連絡してください。マスコミが押しかけると思うので、ホテルにはエレベーターの前から立ち入り禁止にするよう頼んでください。現場検証は時間がかかるので、別室も用意してもらってください」

高輪警察署の捜査員が現場に到着したのは、午後3時20分ごろ。すでに発見から2時間半以上が経過していた。

捜査関係者への取材によると、現場の状況はこうだ。

「遺体はダブルベッドに横たわり、毛布が掛けられていた。服装はノーネクタイの白いワイシャツに黒いズボン。ベッドの脇には妻が座り込み、傍らには秘書、弁護士の猪狩、さらに三塚派の先輩である亀井静香、同派の平沼赳夫ら国会議員の姿があった」
「テーブルにはウイスキーの小瓶や缶ビールが残され、ベッドの下からは刃渡り30センチの短刀が見つかった。登録証も添えられており、妻宛てと亀井議員宛ての遺書が残されていた」

なぜ国会議員の亀井静香らが、猪狩よりも先に現場へ駆けつけていたのかーー猪狩は、後に妻からこう説明を受けたという。

「猪狩先生に連絡したあと、どうすればいいか分からず・・・国会の(逮捕許諾の)議決時間が迫っていたこともあり、亀井先生にだけ電話をしてしまいました。申し訳ありません」

警察に対する妻の説明などによると、夫妻は前夜(2月18日)からホテルに宿泊していた。

この日、妻自身も特捜部の黒川検事から事情聴取を受けており、終了したのは午後11時頃だった。聴取の最中、新井から電話が入り、妻は「聴取が終わったらすぐに行きます」と答えたという。

前回も触れたとおり、新井はこの日、記者会見を開き、日興証券幹部との録音テープを公開しながら「自分から要求した事実はない」と主張していた。
会見を終えた新井の声は、疲れ果てていたという。

「ホテルパシフィックメリディアン東京」(当時)
「筑紫哲也ニュース23」に出演する新井将敬衆院議員