この道が生まれたワケは?
2人は、岐阜方面を目指して美濃路を北へ。ここで荻窪さんから、この道が生まれた理由が明かされます。
(道マニア・荻窪圭さん)
「熱田(名古屋)と垂井(岐阜)を結ぶ脇街道が美濃路。東海道と中山道を繋ぐバイパスだった」
江戸と京都を結ぶ道で、熱田を通るのが「東海道」、岐阜の美濃を通るのが「中山道」。東海道は、熱田~三重・桑名を船で渡る海路だったため「遠回りでも陸地で行きたい人は、美濃路を通って中山道に入り、京都へ向かっていた」と荻窪さんは言います。

美濃路のように、五街道以外の主要な道は“脇街道”と呼ばれ、物流の大動脈となり、人で賑わい街の発展に大きく貢献しました。














