三角地帯は古道のサイン!かつての美濃路のルート

2人は美濃路を北上。訪れたのは「古渡町(ふるわたりちょう)」交差点。

(道マニア・荻窪圭さん)
「昔は“古い渡し”が両側にあって、東西に行くときは渡しを使った。それが地名の語源」

さらにこの交差点を過ぎたところで、大昔から存在する美濃路の痕跡が如実に現れます。

(道マニア・荻窪圭さん)
「この斜めに分岐した道が、名古屋城下を抜け岐阜へと伸びていた、かつての美濃路のルート」

古い美濃路と新たな伏見通が交わってできた三角地帯は、荻窪さん曰く古道を辿る上で重要なサインなのだそう。

美濃路をさらに北上し、広小路通(ひろこうじどおり)を横断。すると、ここでもある地名の由来が明らかに。

(道マニア・荻窪圭さん)
「ここは、東西の道が伝馬町通(てんまちょうどおり)。このまま北上すると名古屋城に近くなりすぎる。いろんな人が行き交う街道は、お城の近くまで来られたくない。ということで、美濃路はここで左に。右に行くと岡崎に繋がる飯田街道。いろんな街道が一回ここに集まる。伝馬町は、物資や人を運ぶ馬を用意しているところだった」

名古屋城築城に合わせて徳川家康は政権を盤石なものにするため、城から各方面への道路整備に着手。そんな各街道の起点となったのが、この伝馬町交差点。ここから全国へ次々と主要な街道が整備されていきました。

大勢が行き交う交通の要衝であるこの交差点には、高札場(=幕府や領主が決めた法度・掟が書かれた木の板札)も掲げられ、多くの人が目を通したと言われています。