高台から目にしたのが…空襲で焼けていくふるさと
幸い無事だった父親と高台から目にしたのが空襲で焼けていくふるさとです。
80年経った今も、忘れられません。
(川崎茂文さん)
「消火はできない、無理」
「自分の家の燃える順番もわかる。直に見ていた」

祖父母など8人で暮らしていた自宅は全焼。家族は集落の山手に小屋を建てて暮らし終戦を迎えました。
戦後の苦しい生活でしたが、農家だったこともあり、空腹はしのげたといいます。
(川崎茂文さん)
「腹が減ったらイモは炊いて食べたらよかった。(自給していなかったら)大変だった」
