戦後は屋久島で実家の農業の手伝いやトラックの運転手として働いた川崎さん。

昭和30年代の高度経済成長期を迎えると30歳の時クレーンの運転手として三重県へ。妻の和子さんと出会い結婚しました。
平成17年に和子さんと島に戻り、82歳までクレーンを操縦しました。
Q.茂文さんはどのような人?
(妻・和子さん)「認知症になってから少し短気になったけれど、それまでは仏さんみたいな人」

「ばかげている。戦争なんて」80年を経ても記憶が平和を訴える
現在、週に2回高齢者施設に通所していますが、80年前の戦争の記憶は忘れることはないといいます。
(川崎茂文さん)
「ばかげている。戦争なんて」「やっぱり話し合い。その国の人の立場になったら、やっぱり戦争はいけないこと」

大きな軍事拠点のなかった屋久島にも戦争の影は届きました。80年を経てもその記憶が平和を訴えています。