今年は戦後80年の節目の年です。太平洋戦争ではいまは世界自然遺産となった、屋久島もたびたび空襲に見舞われました。島への空襲を経験した91歳の証言です。
映像はアメリカ軍機が撮影した現在の神山小学校への空襲です。こちらは八幡小学校。校庭の奥にある校舎に機銃掃射する様子がわかります。
(屋久島への空襲体験 川崎茂文さん)「防空壕の跡地はここ」

屋久島町安房に住む川崎茂文さん(91)。80年前、11歳の時に空襲を経験しました。
(川崎茂文さん)「ここから安房の町の中を空襲されて火が付くまで、この中に閉じ込められていた」
こちらの映像は川崎さんが暮らしていた屋久島町安房への空襲です。橋に向かってロケット弾が発射されています。
アメリカ軍機は集落の民家を攻撃。その後、川の河口にある木材を集める貯木場に向かって機銃掃射しています。屋久島への空襲は終戦の年の3月以降記録に残るだけでも30回あり、23人が亡くなりました。

(川崎茂文さん)「あとは燃えた、もう全部」