9歳で学童疎開船「対馬丸」に乗り、父親を亡くした男性がいます。国策による疎開の末に多くの子どもたちが犠牲となった悲劇を生き延び、孤児となった男性が、今、伝えたいこととはー

喜屋武盛宜(きやたけ・もりよし)さん、90歳。学童疎開船・対馬丸が米軍の潜水艦に撃沈された1944年8月22日、当時9歳で乗船していました。

沖縄市泡瀬で生まれ、美東国民学校に通っていた喜屋武さん。両親と妹、那覇に住む親族も一緒でした。

対馬丸事件の生存者 喜屋武盛宜さん(90)

「子どもだから甲板で遊んでいたよ。部屋には入れない、暑くて暑くて」

船の後方で眠りについていた喜屋武さん一家。突然の衝撃音に目を覚まし、気が付いた時には父と親戚の女性の3人で海に浮かび、真綿の袋を掴んでいました。