処刑に向かう米兵を目撃した女性

戦犯に問われた堅太郎さんは、死刑の宣告を受けたが、その後減刑され、福岡へ帰ってきた。

そして、自宅の庭に、自分が手にかけた米兵の数と同じ4体の地蔵を建立した。
堅太郎さんの死後、地蔵は油山観音(福岡市城南区)に託され、処刑された米兵を慰霊する場となっている。

福岡市に住む福田コウさん100歳。
時々、地蔵のもとを訪れている。

福田さんは、西部軍で米軍機の飛来情報を司令部に伝える情報隊員として勤務していた。
終戦間近、司令部でトラックの荷台に乗せられた米兵の姿を見た。

福田コウさん
「4人の兵隊がね、捕まって足を括られていたんですね。屋根のところにすがってね、不安そうにおろおろしていたんですよ。それがちょっとね、敵とは思いながら、かわいそうだと思ったんですよね」
トラックを見送った後、福田さんは米兵が油山で処刑されることを知った。

福田コウさん
「電話がかかってきて『油山で処刑する』ということを聞いた。毎年、終戦の日が来ると思い出してね。胸が痛かったです、無残に殺された人たちのことを思うとですね。すっきりできないです。死なんでよかったのにね、あったらいかんです、戦争は。泣く人がいっぱいできるからね」