建立に協力した父 戦後の米兵への思いは

高橋敬さん
「不忘の碑の設立に携わった地元のメンバーの写真うちの父が17歳の時に参加していた」

建立に協力した父を持つ高橋敬(たかはし・たかし)さん。父・良夫(よしお)さんから聞いたのは戦後の過酷な生活でした。

高橋敬さん
「父は5歳のときに入植してその過程で(駐留)米兵に物資の支給をしてもらい」

父・良夫さんの故郷・七ヶ宿町長老地区は、戦後間もない1947年に5人が入植すると樺太からの引き揚げ者も加わり原野を切り開いた開拓地です。

食べる物も満足になく、良夫さんはアメリカ軍からの食料で飢えをしのいだのです。

高橋敬さん
「食べるものもなくて(駐留)米軍からバターの供給があったりトウモロコシの粉の供給があったり、そうして命をつないできた。(駐留)米軍には感謝しかないところはあったのかな」

父をはじめ、建立に携わった人々に感銘を受けた高橋さんは今も、現場の調査や整備などを続けています。

そして今年、建立の経緯などを綴った当時の記念誌を復刻しました。